今年は
国鉄が分割民営化されてから20年の節目の年である。昭和62年(1987)4月1日、ここ北海道でも午前0時を期して株式会社組織の
JR北海道が誕生したのだった。国鉄からJRへ移行のその日、私はまさに北海道を旅していた。今回はその話を綴ってみる。
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たび重なる転勤や引っ越しで、過去の汽車旅の資料などがすぐに取り出される状態になっていないのは遺憾だが、幸いこのときの旅のメモと当時の時刻表が手元に見つかった。「
国鉄からJRへ移行の旅」を私は最北の地、
稚内から始めている。稚内7時30分発札幌ゆき302列車、急行<
宗谷>。昭和56年の時刻改正までは函館−稚内間をロングランしていた列車だ。かつての北海道の鉄道は、すべて
函館中心にダイヤが組み立てられていた。本州からの連絡船が着く港町・函館が北海道の玄関であり、ここから札幌より先、稚内や網走・釧路へ向けて何本もの長距離列車が旅立っていたのである。札幌も単なる中間駅のひとつに過ぎなかったのだ。だが、
航空機の台頭により連絡船は本州−北海道間輸送の主役の座を奪われ、呼応して国鉄も重い腰をようやくあげて飛行機との共存をはかるべく千歳空港の隣接地に駅を新設(現在の南千歳駅。当時は千歳空港駅を名乗っていたが、その後、空港のターミナルビルが移転したために新たに新千歳空港駅を建設し、千歳空港駅は南千歳駅と改称した)して空港連絡輸送を開始、ダイヤを函館中心から札幌中心へ見直したのだった。現在<宗谷>は、札幌−稚内間の特急<
スーパー宗谷>に昇格している。
国鉄最後の日、上り急行<宗谷>は何事も変わらぬふうに稚内の駅を淡々と発車した。市街地をぬけ、抜海駅の手前で一瞬、雲の中に利尻富士のシルエットを見る。やがて海辺をはなれ、粉雪を舞いあげながら足跡ひとつない一面の雪原の中へ。信州からの入植者が開いたのだろうか、佐久という駅を通過。「分割民営反対 国労音駅分会」の看板がよぎる。「音駅」とは
音威子府駅の略であろう。10時42分、名寄駅着。ここで<宗谷>を捨てて名寄本線のローカル列車に乗り換える。内陸の町、
名寄から東進してオホーツク海側の紋別を経由、中湧別で再び内陸へ入って石北本線の
遠軽とを結ぶ名寄本線というレールがあったのである。廃止されたのは、この後の平成元年(1989)のことだ。
遠軽行きの625D列車は気動車1両の編成であった。立ち客もでる満員の盛況だったが、その混雑も5つめの
下川まで。下川は最近では内陸の寒さを活かして"アイスキャンドル"という冬のイベントを全道に先駆けて実施している。13時12分、六興駅発車。当時のメモには「晴れていた空から雪がこぼれ、やがて曇り空となった一面から、これでもかというほどに雪が降ってきた」と。遠軽15時28分着、5分の接続で札幌行きの特急<オホーツク4号>をつかまえる。
札幌到着、19時18分。
小憩の後、札幌20時35分発の特急<
北斗16号>で函館に向かう。まだ札幌駅は高架化される前で、いまステラプレイスが建つあたりにホームが並んでいたのだった。国鉄最後の日を意識したのだろう、この日の<北斗>は「蛍の光」のメロディに送られて発車した。外は雪が降ったり止んだり。23時59分、
大沼駅を通過しアナウンス。「ただいま0時をまわりました。本日よりJR北海道がスタートしました。JR北海道はよりきめ細かなサービスで……」。先ほどまでの「車掌長」の腕章に代わり、キタキツネをあしらったエンブレムを胸にした車掌を地元テレビカメラが追う。ほどなく終着の
函館。接続の連絡船は0時40分発の深夜便で、これも同じくJR北海道の所属に衣替えされていた。
あれから20年。この翌年には
青函トンネルが開通し、連絡船も姿を消した。
赤字ローカル線の廃止も相次ぎ、現在のJR北海道の営業路線延長は2500キロと、往時の国鉄時代の3分の2ほどである。それでも北海道旅客鉄道株式会社の経営は苦しい。そもそも北海道の鉄道の歴史は運炭線、すなわち内陸部で採掘される石炭を港湾都市の小樽や室蘭へ輸送するための手段として敷設された。その後、道内すみずみまで鉄路がゆきわたるようになると、林産資源の輸送手段としても鉄道は重用されたのである。だが、やがてエネルギーの石油への転換により石炭産業は衰退し、ヤマは次々と
閉山。道路網の整備が進むと木材輸送も
トラックに置き換えられる。1日に何本もない列車をあてにするより一般旅客も
マイカーに移る。鉄路を維持するに足る需要がないので路線を廃止してバスに転換する、という循環に陥ってしまったのだ。
いまJR北海道が総力をあげて取り組んでいるのは
DMVの開発である。DMVとは、Dual Mode Vehicleの頭文字で、鉄道と道路の両方を走れる乗り物のこと。車体はマイクロバスを改造しているので普通の鉄道車両の比べて製造コストが安くてすみ、しかも一般道路にも乗り入れることで利便性が増し、そのぶん利用者増も期待できるというわけだ。
先月から
釧網線の浜小清水−藻琴間で実証実験も開始されている。さっそく仲間と乗り試しに出かけたのだが、その模様はまた別の機会に書くことにしよう。